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東京地方裁判所 平成3年(ヨ)453号 決定 1991年5月01日

債権者

Z

右訴訟代理人弁護士

石川一郎

関谷巌

栗林信介

石川一郎訴訟復代理人弁護士

高田弘明

債務者

X

右代表者代表取締役

X1

右訴訟代理人弁護士

飯塚卓也

松井秀樹

山岸良太

久保利英明

主文

一  債権者と債務者の間の東京地方裁判所平成三年(ヨ)第三〇七号不動産仮処分申立事件について、当裁判所が平成三年一月二九日にした仮処分決定を取り消す。

二  本件仮処分命令申立てを却下する。

三  訴訟費用は債権者の負担とする。

理由

第一事案の概要

一争いのない事実

1  債権者は、平成二年二月二三日、債務者との間で、当時債務者が駐車場として建築途中の別紙物件目録記載の建物(本件建物)につき、「立体駐車場賃貸借仮契約(書)」(<証拠>)を結び、本件建物に完成間近い平成三年一月二五日、右契約が本件建物の賃貸借契約であることを前提として、これに基づく本件建物の引渡請求権を被保全権利とし、債務者が、右賃貸借契約は解除され、また、本件建物を株式会社Tシティに売却したと主張していることからTあるいはその他の第三者に本件建物の所有権及び占有を移転されると債権者の賃借権を対抗できなくなるおそれがある等として、債務者に対する本件建物の引渡断行の仮処分を申し立てた。

東京地方裁判所は、同月二八日に金四億円の担保決定をした上、同月二九日に主文第一項記載の仮処分決定(本件決定)をした。そして、同月三〇日、本件決定の執行が行われ、債権者は、本件建物の引渡しを得て、現に本件建物を占有している。

2  債務者は、平成二年一〇月二六日、Tとの間で本件建物及びその敷地である土地三筆(本件土地。<証拠>)についての不動産売買契約(<証拠>)を結び、Tは、同年一二月二六日、補助参加人(参加人)との間で本件建物及び本件土地についての不動産売買契約(<証拠>)を結び、本件土地については、同年一〇月三〇日受付で同日売買を原因とする債務者からTへの、同年一二月二六日受付で同日売買を原因とするTから参加人への各所有権移転登記がされている。また、本件建物については、平成三年一月三〇日付けで参加人を所有者とする表示登記が、また、同月三一日受付で参加人のため保存登記がされた(<証拠>)。

3  債務者及び参加人は、債権者と債務者間の「賃貸借契約」は本件決定前に既に解約され、又は遅くとも本件決定に執行前に本件建物の占有は債務者からTを経て参加人に移転済みであった等として、主文同旨の裁判を求め、本件異議を申し立てた。

債権者は、これに対し、本件決定の認可を求めた。

二主要な争点

1  賃貸借契約の存否

債権者と債務者間の前記契約が本件建物の賃貸借契約であって、債権者はこれに基づき本件建物の引渡請求権を有するかどうか。

2  解約の効力

債権者と債務者間の前記契約においては、債務者が債権者から右契約に基づいて受領していた金七八九万七五〇〇円の予約金の倍額を償還して契約を解除できる旨の合意があり、債務者が右合意に基づくものとして、平成二年一二月二〇日、債権者に対し、予約金の倍額の金一五七九万五〇〇〇円を現実に提供して行った解除の意思表示が有効であるかどうか。

3  履行不能の成否

債務者とT及びTと参加人間の前記各売買契約に基づき、本件建物の所有権及び占有が、遅くとも本件決定の執行前に債務者からTを経由して参加人に移転したかどうか、また、移転している場合、債務者の占有喪失により、債務者の債権者に対する本件建物の「賃貸借契約」に基づく引渡義務は履行不能となって消滅したかどうか。

なお、本件建物の占有移転が本件決定の発令後であるとすれば、それは民事保全法(法)三八条の事情変更による取消事由に当たるところ、本案訴訟が提起されていない段階で右事情変更を理由として、本件保全異議の手続で本件決定を取り消すことが許されないかどうか。

4  債務者らの背信性と履行不能の主張の可否

仮に、3により債務者の債権者に対する本件建物引渡義務が履行不能により消滅したとしても、債務者及び参加人は、債権者に対する背信的悪意者として、信義則上、右履行不能を主張できないかどうか。すなわち、債権者は、駐車場としての本件建物の企画・設計等に関しノウハウを提供し、みずから本件建物において駐車場を経営する予定であり、そのため債務者との間で、債務者が本件建物を他に売却するときは、債権者に先買権を与え、又は債権者の賃借権を買受人に承継させることを約するなど、本件建物と密接な関係を有していたかどうか、参加人及びTは、債務者と共にこれらの事情を知りながら、債権者の賃借権を覆滅させるため、あえて通謀して本件建物等の売買契約を結び、本件決定執行前にその占有を債務者から取得したかどうか。

5  保全の必要性

債権者の主張する前記理由によって、本件決定の保全の必要性を肯定することができるかどうか。

第二当裁判所の判断

一はじめに

以下においては、①債権者と債務者との間に、債権者主張のような本件建物の賃貸借契約(本件賃貸借契約)が締結されていて、債権者は債務者に本件建物の引渡請求権を有していたこと、②本件賃貸借契約には借家法が適用され、賃借人である債権者は、本件建物の占有を取得していれば、本件建物の所有権が債務者から他に移転した場合でも、右賃借権を新所有者に対抗できること、③本件建物を仮に引き渡すことを命ずる仮処分及びその執行により、債権者はこの対抗要件を取得したと評価できることをそれぞれ仮定して、検討する。

二主要な争点3(履行不能)について

1  認定事実

疎明及び審尋の全趣旨によれば、以下の事実を一応認めることができる(争いのない事実も含む)。

(一) 本件建物及び本件土地の売買

(1) 債務者は、Tとの間で本件建物完成前の平成二年一〇月二六日に本件土地及び本件建物の売買契約(売買代金七五億四三九四万一〇〇〇円)を締結し(<証拠>・不動産売買契約書)、平成三年一月末日を予定日とする残代金(売買代金から手付金及び中間金を控除した額)授受時に、これと引き換えに本件建物の所有権が移転され、かつ、引渡し(占有移転)が行われることが約定された(<証拠>・第3条、第5条ないし第7条)。

そして、右契約において、残代金授受がこのように定められたのは、本件建物が右同日ころ竣工(完成)の予定であった(<証拠>・立体駐車場賃貸借仮契約書・第2条、<証拠>・工事請負契約書)ためであり、竣工がこの予定より早くなった場合は、残代金授受及び本件建物の所有権及び占有の移転も早められることが合意されていた(<証拠>・第3条、<証拠>・四者協定書・第7条)。

(2) さらにTは、参加人との間で平成二年一二月二六日に本件土地及び未完成の本件建物の売買契約(売買代金八〇億円)を締結し(<証拠>・不動産売買契約書)、平成三年一月末日を予定日として、Tが債務者に右(1)の残代金を支払いTの本件建物の所有権取得が確認された後、参加人がTに本件建物の残代金(売買代金中、右契約締結日に支払済みの本件建物分の一部及び本件土地分を控除した額)を支払い、これと引換えにTから本件建物の所有権及び占有が移転されることが約定された(<証拠>・第3条、第5条、第6条、第8条)。

このTと参加人との間の売買契約は、(1)の債務者とTとの間の売買契約を前提とするもので、(1)と同様に、残代金の支払と本件建物の所有権及び占有の移転とは引換給付の関係に立ち、(1)の履行がその予定期日より早められるときは、Tと参加人の間の右決済も早められる可能性があったものである。

(二) 売買代金決済

(1) 債務者とTの売買契約に基づき、Tは債務者に対し、平成二年一〇月二六日に金六〇〇〇万円の手付金を、同月三〇日に金六六億四〇〇〇万円の中間金を、平成三年一月二九日に太陽神戸三井銀行新宿支店において金八億四三九四万一〇〇〇円の残代金をそれぞれ支払った(<証拠>、<証拠>・領収書、<証拠>・宮林報告書)。

(2) Tと参加人の売買契約に基づき、参加人はTに対し、平成二年一二月二六日に金六八億八〇〇〇万円の内金を支払い、平成三年一月二九日に債務者とTの右(1)の残代金の決済に合わせて、前記銀行支店において金一一億二〇〇〇万円の残代金を支払った(<証拠>・領収書・銀行預金通帳、<証拠>)。

(3) ところで、右売買代金決済は、右(一)(1)(2)の売買契約における当初の予定を変更しそれよりも早められたものであるが、右予定変更は、平成三年一月一六日ころ、債務者が同月末は決算期のためできるだけ決済を早くすることを希望し、その時点では本件建物の残工事もほぼ完了の見込みがつき、また、参加人側でもその時期であれば支払いのための融資を受けることも可能であったためである(<証拠>・大川報告書、<証拠>・三島報告書、<証拠>・吉田報告書、<証拠>・阿部報告書、<証拠>・鬼塚報告書、参考人三島、同宮林)。

(三) 所有権移転

本件建物については、平成三年一月二九日に残代金の決済が行われた際、債務者から表示登記及び保存登記に必要な書類が交付され、最初の所有者である債務者及びその次の所有者であるTの登記を省略し、当初から参加人を所有者とすることとして、同日表示登記の申請がされ同月三〇日に表示登記が、また、同月三一日受付で保存登記がそれぞれされた(<証拠>、<証拠>・登記簿謄本)。

(四) 占有移転

(1) 平成三年一月二九日に残代金決済が行われた際、Tは、債務者から本件建物の鍵の引渡しを受け、これによって本件建物の占有を取得したが、Tは後記三1の参加人との売買の条件である駐車場営業を自ら行う権利確保のために、同日、株式会社東立を介して、参加人との間で本件建物における駐車場についての業務委託契約を締結しており、Tの右占有取得は同時に参加人の占有代理人としての占有取得を意味することから、結局、債務者が本件建物の占有を失った反面、T(直接占有者)及び参加人(間接占有者)がそれぞれ本件建物の占有を取得した(<証拠>・鍵引渡書、<証拠>・業務委託契約書、<証拠>・鬼塚報告書、<証拠>、<証拠>・増山報告書、<証拠>、<証拠>・横山健治報告書、参考人三島、同宮林、同吉田)。

(2) なお、本件においては、右鍵の移転に加え、Tは本件建物の事務所で使用する応接セットを、同日午後二時ころには本件建物の内部に搬入している(<証拠>・写真)。しかし、代金を完済した買主が、特段の支障がないのに目的物件の引渡しを遅らせる理由はないところ、本件でも右特段の支障と考えられるような事情は窺えず、また、目的物件が本件のように立体駐車場建物の場合、その出入口の鍵及び駐車場の機械装置の鍵の引渡しが行われれば、建物の引渡しがあったのと同視できるから、右鍵の移転の時期をもって占有の移転の時期というべきである。さらに、本件建物の鍵は当時債務者の従業員であった吉田が決済現場に持参してきており、Tに直接その物自体が引き渡されず、鍵の存在が確認された後は再び吉田がこれを所持していたものであるが、同人は同月三一日付けで債務者を退社し、Tに入社することが既に決定していたことからすれば、吉田が現実に鍵の所持を続けたことをもって占有が移転していないとすることはできない。

2  判断

右認定事実によれば、履行不能について次のように判断される。

本件建物の所有権及び占有は、いずれも本件決定の発令と同日でその執行の前日である平成三年一月二九日に債務者からTを経由して参加人に移転しているから、少なくとも同月三〇日の本件決定の執行前に債務者には債権者に移転することができる占有はなくなっており、その時点で債権者の債務者に対する本件建物の引渡請求権は履行不能となって、損害賠償請求権に転化したというべきである。

なお、この点に関し債権者は、参加人への本件建物の占有移転が本件決定の発令後であれば、それは法三八条の事情変更による取消事由に該当するが、「事情変更」と言えるためには「当該仮処分に反する内容の本案判決がなされ、かつ上訴審において覆される虞のないような事態になったこと」が必要であって、本案訴訟が提起されていない現段階で右事情変更を理由として本件決定を取り消すことは許されないと主張する。

しかし、法三八条の事情変更に該当する事由は保全異議事件においても保全命令を取り消すべき事由の一つとして主張、判断できるもので、かつ、右事情変更の事由とは、保全すべき権利若しくは権利関係(いわゆる被保全権利)又は保全の必要性の消滅等の事由がある場合を指称するものであって、債権者が指摘するような本案判決がされた場合のほか、これとは別個に、保全命令の発令後その執行前に目的物件が債務者から第三者に譲渡されたような場合も含み、また、後者の場合、当該事実の存否等は疎明によって一応認定することが許容されると解すべきである。けだし、法三八条は、被保全権利に関する事情の変更を本案判決の確定等に限定していないし、また、右のように解しないと、債権者が保全命令を得てしまった以上、保全の必要性が消滅した場合等を除いては本案の裁判が確定するかそれに近い状態にならなければ、事情変更に基づく取消しはなし得ないことになり、債権者は疎明によって保全命令を得ながら債務者がそれから開放されるためには証明を要するということになって、両者間の権衡を失し、債務者に酷な結果となることは明らかだからである。

したがって、債権者の右主張は採用できない。

三主要な争点4(債務者らの背信性)について

1  認定事実

疎明及び審尋の全趣旨によれば、以下の事実を一応認めることができる(争いのない事実も含む。)

(一) 駐車場事業の計画及び債権者の参画等

債務者は、本件土地を昭和六一年六月六日付け売買により前所有者から取得し、当初は転売を予定していたところ、昭和六三年ころ以降、株式会社ベクトルコーポレーションの山田秀一社長(山田)及び債権者の大嶋翼常務(大嶋)らの勧めもあって本件土地に立体駐車場を作ることとし、株式会社ベクトルコーポレーションが中心となってそのためのプロジェクトチームである「チームベクトル」が組織され、平成元年秋ころから本件建物の建築工事が開始されたが、駐車場業界では大手の業者である債権者は、完成後の本件建物を債務者から賃借して駐車場事業を営むとの前提の下に、その企画立案等に参画してきた(<証拠>、<証拠>・オクト歌舞伎町パーキング新築工事打合せ議事録・覚書案等、<証拠>・大嶋報告書、<証拠>、<証拠>・土地登記簿謄本、<証拠>・井上報告書、<証拠>、<証拠>・パンフレット等、<証拠>・山田報告書、<証拠>・井上報告書)。

(二) Tへの売却の経過

(1) 債務者と債権者は、平成二年二月二三日付けで本件賃貸借契約を締結したものの、債務者は、本件建物及び本件土地を売却することも依然検討中で債権者にもその旨を告げていたが、債権者から売却するときは債権者を他に優先させるようにとの要請を受けていたため、他から買受希望がある都度、買受希望者に本件建物における駐車場の管理を債権者に委ねる意向があるか等を打診し、また、Tに対する売買の際も、その売買契約締結前に、Tが自ら本件建物で駐車場営業を営む予定で債権者の本件建物に対する賃借権ないしは駐車場管理を承継する意向はないこと、及び債権者にも本件建物を買い受ける意思がないことを確認した上で、Tとの間で前記二1(一)(1)認定の売買契約を締結し、他方、債権者には予約金の倍額及び解約申込書を送付した(<証拠>・解約申込書、<証拠>・振込入金案内、<証拠>・井上書簡、<証拠>、<証拠>・解約申込書草稿、<証拠>・高田報告書、<証拠>、参考人三島、同鬼塚、同井上)。

(2) Tとの売買契約段階で、債務者は、債権者との本件賃貸借契約は円満に解約される予定で、事後に問題が生じるおそれはないと判断しており、その旨をTにも告げていたため、Tはこれを信頼し、自己が本件建物において自ら駐車場営業を営むことに支障はないものと考えて右売買契約を締結した(前掲疎明)。

(三) 参加人への売却の経過

(1) その後、Tは、それまで面識もなかった参加人から、参加人の相続税対策の一環として本件建物及び本件土地の売渡しを申し込まれ、その条件によればTが駐車場営業を自ら行うことが可能であったことから、結局、右申込を受け入れて参加人にこれを売り渡すこととし、前記二1(一)(2)認定の売買契約を締結した(<証拠>、<証拠>・参加人報告書、<証拠>、<証拠>・浜田報告書、<証拠>・増山報告書、<証拠>・岡部報告書、<証拠>、参考人鬼塚、同横山健治)。

(2) そして、Tは前記(二)(2)のとおり、本件建物についての債務者と債権者との間の賃貸借契約は解約されるものと考えていたため、右賃貸借契約の存在等については、参加人に一切告知しなかった(前掲疎明)。

2  判断

本件において、右認定を超えて、債務者、T及び参加人が、三者で通謀し、債権者の賃借権を覆滅させることを企て、参加人が、ダミーであるTを介して本件建物の所有権及び占有を取得した等と認めるに足りる疎明はない。

したがって、債務者らは信義則上も履行不能を主張し得ないとする債権者の主張は、その前提を欠き失当である。

四結論

以上のとおり、本件建物の占有が平成三年一月二九日に債務者からTを経由して参加人に移転していることによって、少なくとも同月三〇日の本件決定の執行前に債権者の債務者に対する本件建物の引渡請求権は社会通念上履行不能となって消滅(損害賠償請求権に転化)しているというべきであり、したがって本件決定にはその被保全権利が存しないことになるから、他の争点について判断するまでもなく、本件決定は取消しを免れない。

よって、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官荒井史男 裁判官笠井勝彦 裁判官寺本昌広)

別紙物件目録<省略>

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